民主化闘争

1988年  3月13日  前日、ラングーン工科大学学生と町の若者との間の喧嘩に、警察が不公平な対処をしたため、ラングーン工科大学の学生200人以上が、デモ行進を行う。この平和的行進に警察機動隊が発砲。学生の一人、ポウモウさんが射殺され、多数が負傷。3日後までに、死者は6人になる。
 3月16日  警察の横暴な対処に反感を抱いたラングーンの学生たちは、デモ行進を計画。ラングーン大学に集まった学生たちが、工科大学へ向かう途中のインヤー湖で、軍と警察機動隊の妨害にあう。軍と警察による暴力と発砲で、学生100人以上が命を落とす。インヤー湖にある通称「白い橋」は、学生たちの血に染まり、この日以来、「赤い橋」と呼ばれる。また、この日、軍が拘束した学生を護送車に無理やり押し込んだため、刑務所に到着するまでに、学生41人が窒息死する。
 7月23日  ネウィン氏がBSPPの議長を辞任し、サンユー氏が大統領を辞任。
 7月26日  セインルウィン氏がBSPPの議長に就任。翌日、大統領に就任(兼任)。
 8月 1日  全ビルマ学生連盟が、88年8月8日(シッレーロンの日=8が4つの日)に、ビルマ全土で反政府デモを行うという声明を発表。
 8月 8日  学生、僧侶をはじめ全ビルマ国民によるデモ行進。一党独裁の終結、ビルマ式社会主義経済の終結、民主化を要求。軍は武力でこれを鎮圧。3日間で、デモに参加した民間人のうち1000人以上が死亡。連日、デモと発砲が続く。ビルマ全土で国民ストライキがあり、交通機関、工場などが停止。政府は一時、機能しなくなる。
 8月12日  セインルウィン氏が大統領を辞任。
 8月19日  マウンマウン博士がBSPPの議長に就任。
 8月26日  アウンサンスーチーさんが、初めて、民衆の前で演説する。
 9月18日  国軍はクーデターを起こし、国家法秩序回復評議会(SLORC)を発足。SLORC議長にソーマウン将軍が就任。
 9月24日  国民民主連盟(NLD)が結成され、アウンサンスーチーさんが書記長に就任。
1989年  5月27日  SLORCは、英語の公式国名を「ビルマ連邦(Union of Burma)」から「ミャンマー連邦(Union of Myanmar)」に、首都名をラングーンからヤンゴンに変更。
 7月20日  アウンサンスーチーさんが自宅軟禁される。
1990年  5月27日  SLORCが複数政党に基づく国民総選挙を実施し、国民民主連盟(NLD)が82%の議席を獲得して圧勝。SLORCは選挙結果を無視して議会の召集を拒み、NLDの選出議員を投獄。



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