軍部の揺らぎ

2001年   2月20日  SPDC権力層のナンバー4であるティンウー中将がヘリコプター事故で死去。
2002年   3月 8日  SPDCは、ネウィン氏の娘婿のエイゾーウィン氏とその息子ら計4名をクーデター未遂容疑で逮捕。
 5月 6日  アウンサンスーチーさんが1年7ヶ月ぶりに自宅軟禁を解かれる。
12月 5日  ネウィン氏が死去。
2003年   5月30日  北ビルマ・ザガイン管区を遊説中のアウンサンスーチーさんとNLD一行を、軍が計画的に襲撃(ディペーイン虐殺事件)。少なくとも70名が死亡、200を超える人々が負傷・行方不明となり、また不当に逮捕・拘束された。アウンサンスーチー書記長、ティンウー副議長も逮捕され、2005年2月4日現在も自宅拘束中。
8月25日  キンニュン将軍が首相に就任。
2004年  5月17日  SPDCは制憲国民会議を再開(〜7月9日)。
10月19日  キンニュン将軍が首相を解任・逮捕され、ソーウィン将軍が首相後任となる。
10月22日  SPDCは、国家情報局(発足以来、局長をキンニュン将軍が務めた)を解体。
11月18日  SPDCは「以前、国家情報局が誤って逮捕した」として囚人14318名を釈放。内、政治囚は58名。(〜12月11日)
2005年  1月 2日  ビルマ独立記念日(1月4日)にあわせて、SPDCは囚人5588名を釈放。内、政治囚は26名。
 2月17日  SPDCは制憲国民会議を再々開(〜3月31日)。
 5月7日  ラングーン市内3箇所のショッピングモールで連続して爆弾が爆破する事件が発生。
 7月11日  ビルマ国営紙MYANMAR TIMESは、ビルマ内務省ウィンカウン警察庁次長がインタヴューでビルマ軍政が「7月6日、政治囚約400人を釈放した」と話したと掲載。当局が初めて自国の政治囚の存在を認めた。
 7月26日  ASEAN(東南アジア諸国連合)外相級会議において、ビルマ軍事政権は、2006年7月から予定されていた議長国就任の辞退を表明。
 11月27日  アウンサンスーチーさんの自宅拘束が、6ヶ月延長される。