2007年 僧侶らによる「ビルマ祈りの行進」の記録

8月15日 ビルマ軍政が、予告もなく、燃料の価格を約5倍に引き上げた。
17日 「ビルマの発展を求める会」が、軍政に宛てて、21日までに燃料価格を元に戻さなければ、ビルマ全土でデモを行うとの声明文を発表。
19日 チーマウンNLD前議長の法事に集った88世代のミンコーナインら学生グループが、帰り道、運賃が上がった交通手段を利用せずに徒歩で帰宅することによって、抗議の気持ちをアピール。プラカードも声をあげることもなく、3時間、整然と歩き続ける。途中、この様子を見た市民が加わり、結果的に400人を超える規模のデモ行進となった。
21日 夜中、19日の行進をリードした88世代学生グループのトップ13人が、理由を明らかにされないまま軍に身柄を拘束された。
22-25日 連日、88世代学生グループがリードして、ラングーン各地の大通りで数百人規模のデモ行進を展開。
28日 アラカン州の中心都市シットウェーで200人以上の僧侶が、燃料値下げを求めるシュプレヒコールをあげてデモ行進した。
9月3日 国民会議が審議開始から約14年かけて閉幕。
5日 マグェー管区パコック郡で約500名の僧侶が「物価引下げ」「燃料の値下げ」「今回のデモで拘束された人々の解放」の3つを要求し、連呼しながら行進した。町中の人々が、飲み水を供えるなどしてこの行進を歓迎。マグェー管区当局は、この行進を阻止するためにUSDA(軍政翼賛団体)と軍を導入し、僧侶に暴行を加える。軍の威嚇射撃10回。僧侶3名が重傷を負い、10名が拘束される。
6日 昨日の騒ぎについて、朝、政府関係者10名が車でパコックの僧院をまわり、老僧らに若い僧侶をきちんと管理するよう伝える。このとき若い僧侶らがこの10名を監禁し、乗ってきた車4台を僧院外に出して燃やした。1000人以上の民間人が、これを拍手して歓迎、応援した。午後4時、全員を解放。
7日 88世代学生グループが、バンキムン国連事務総長に宛てて、ビルマ問題に対処してほしいとの手紙を出した。
10日 5日パコック郡で政府関係者がデモ行進した僧侶にたいして暴力を振るったことに関して、全ビルマ僧侶団体が、軍政が17日までに公けに謝罪しなければ、軍政関係者の仏事を一切拒否するという声明をだした。
18日 10日の声明を軍政が無視したため、全ビルマで僧侶は軍政関係者の仏事(布施を含む)を拒絶。この日から僧侶による祈りの行進が始まる。当初はラングーン、マンダレーなど大きな町からはじめられたが次第に田舎でも行われるようになっていく。
19日 僧侶の祈りの行進に、学生や民間人が参加し始める。市民は、僧侶を守りながら僧侶が行進する列の両側を、手を組んで行進。
22日 通常は軍のバリケードで通行止めにされているアウンサンスーチーさん自宅前の通りを、僧侶と市民がデモ行進した。僧侶は祈りの声をあげ、アウンサンスーチーさんは門前まで出て礼拝した。市民は「早く解放されますように」「お元気で」などの声をあげた。
24日 僧侶の祈りの行進に、映画俳優や詩人など有名人が参加。この日だけで、ラングーンの祈りの行進は10万人規模となった。
25日 軍政が、僧侶に対して、デモ行進を止めるよう警告し、止めない場合は「法律どおり」逮捕すると公式発表した。
26日 僧侶や市民の祈りの行進に、軍が発砲。軍政による国民への暴行、逮捕などが始まる。この日だけで僧侶5人、女性1人が死亡。負傷者、被拘束者多数となる。
27日 平和的な祈りの行進が僧侶と市民によって続けられる。ラングーンだけで7万人以上が参加。軍は発砲を止めない。軍政は死者9人負傷者11人と発表。この日、日本人ジャーナリスト長井さんも射殺された。
29日 祈りの行進の規模が小さくなる。18〜28日までに、逮捕者は1800人を超え、死者は200人を越えた。逮捕された者のうち、1000人以上は僧侶。この日、ガンバリ国連特別顧問がビルマに入った。
10月31日 パコック郡で早朝、軍政がUSDA(軍政翼賛団体)のメンバーや、市民を強制的に集めて「閉会した国民会議の内容に賛成する」「昨今の僧侶のデモ行進に反対する」内容の決起集会を開催。これを受けて、同郡の僧侶が、軍政関係当局に対し、このような集会が認められるのであれば、自分たちも平和的な祈りの行進を行いたいと告げ、100人以上の僧侶が朝8時半から1時間お祈りの行進をした。市民は行進の側で僧侶に合掌したり、水を捧げたりした。当局は妨害をしなかった。

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